2011年09月24日

そして鉄人は、今日も焼け野原を往く。

ほぼ日Pの曲が好きだ。
正確に言えば、ほぼ日Pの書く歌詞が好きだ。


一見シンプルなことばの中に、消化不良を起こしそうなほどのエグ味をこってり織り交ぜて、
ネタ元に対して容赦のない皮肉をぶちかます様が好きだ。


そのほぼ日Pだが、
先日アップしたこの曲によって、議論百出・非難囂々。
動画は元より、ご本人のブログ・ミクwikiの動画記事・大百科の本人記事のスレ、
いずれも絶賛大炎上中となっている。
(コメ非表示推奨動画なので、今回外部プレイヤーは貼りません)





確かに最近、「元ネタをちゃんと見ていないと、曲に込めた風刺が解りにくい」という
傾向が強くなってきているのも事実ではあろうが、
元ネタを見てもなお、ほぼ日Pの意図とはかけ離れた解釈・理解をしてしまっている人が
ずいぶん増えたように感じられる。
そして、元ネタも見ずに脊髄反射で「氏ね」だの何だのわめき散らすバカも、
「放射能がくる」の頃以上に増加した気がする。





「こんな動画消せ」 「福島の人に謝罪しろ」 「どんな意図で曲作ったのか釈明して」etc…


さまざまな批判に対し、ほぼ日Pは黙して語らず…どころか、
何もなかったかのように立て続けに曲をアップしてみせた。
しかも、一見すると全く真逆の方向を向いた歌詞を持つ2曲を。








ことここに及んで、ようやく俺の中で結論が出た。



  「この人は、他人に訴える気持ちなんてこれっぽっちもない。
   ただ、自分が『食い破りたい』と思ったものに噛みつくだけだし、
   自分が『歌いたい』と思ったことばを(ミクとVY1の力を借りて)紡ぐだけなんだ」




と。



彼は、あまりにも自由に、琴線に触れたものを感じたままに曲にする。
それを聴くも聴かぬもリスナーの自由だし、聴いてどう思うかもリスナーの自由。
言い換えれば「聴く人の意見など知ったこっちゃない」というところか。

さまざまな批判に対するリプライすら、歌の形をとって世に問うてしまう。
そして「この返答をどう解釈するかも、あなたの勝手ですよ」と、
自身に向けて投げつけられたボールを、時速200kmで投げ返す。(時に少々斜め上に)


その典型がこの曲だろう。
某ブログでの批判に対し、そのブログのタイトルを歌詞に折り込みながら、
当該記事中で俎上に上げられた曲 「馬鹿が見るテレビ」 のサムネに×を描いてみせることで、
自虐に見せかけたイヤミたっぷりの返信をしてみせている。





しかし、それがネタ元にしている相手に届くかどうかについては、
ほぼ日P本人はまったく拘泥していないのではないだろうか。
だからこそ、動画がどんなに荒れても削除したりしないし(コメントも自身では削除しない)、
ブログのコメントにもいちいち返信したりしない。


大百科のスレには「釈迦の手の上の悟空状態」というレスがあったが、
我々視聴者のことを手の中で転がす意図すら、彼にはないのだろう。
それどころか、そもそもその掌中に我々視聴者を落とし込むつもりすら皆無だと思える。


放り投げたボールが我々の手元に届く頃、
ほぼ日Pはすでに別の方向を向いて、次のボールを磨いているにすぎないのだ。



そう考えると、動画やブログに批判コメントを浴びせている連中の行為が、
何と虚しいものであるかと思わされる。
何しろ、いくら噛み付いても相手にしてもらえないのだからw
(そのくせ、気が向くと10倍返しで喉を食い破られるから始末が悪いwww)


その手の中で踊ることすらさせてもらえない我々視聴者は、
自問自答や煩悶を繰り返しながら、ほぼ日Pと対峙していくしかないのだろう。



# もしほぼ日Pに直接話を訊くことができるなら、ひとつだけ訊いてみたい。
# 「その、何ものにも動じない・何もかもを取り込み続ける強靭なハートは、
#  いったいどこから生まれたのか」と。
# 彼の詞はマネできないが、彼の精神力には少しぐらいあやかりたいと思う。

posted by mak.kanz@wa at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする