2010年11月05日

自作詞ライナーノーツ#8 「1987」

今日(11/5)は『MEIKO生誕祭』当日。
ということで、前回に引き続き、昨年の生誕祭参加作品のライナーノーツを。


[ニコニコ動画]


[ピアプロ]

1987 powered by ピアプロ

[歌詞]
http://piapro.jp/content/54ky1jhjkkpucqe8


nocchi1031氏(パレットP)とのコラボ2作目になります。



本作は、俺の書いた歌詞の中でも、
もっとも個人的というか、インターナルな(ベクトルが全く外に向いていない)作品です。

なので、ライナーノーツというよりも、ほんとうに単なる
「自分語り」的な感じになるかもしれませんが…



タイトルの「1987」は、


 シミだらけのページの隅で
 16の僕が 何かを叫んで生きてる



というフレーズにもある通り、俺が16歳だった年です。
そしてこの頃、俺はある雑誌の読者でした。


その雑誌とは、マガジンハウスから1985年に
「十代が創る十代のためのメッセージマガジン」を謳って創刊された
『ヒストリーズラン』という雑誌でした。

鬱屈して吹き溜まる、やり場のない「十代の心の叫び」をぶつけるための
「リング」を目指し、高野生・大の兄弟がマガジンハウスに企画を持ち込んで
刊行された雑誌です。

しかし、創刊からわずか2号(創刊準備号を含めても3号…)で、
当時マガジンハウス社長だった清水達夫氏と高野兄弟との対立によって雑誌は廃刊。
(休刊という名の実質的廃刊ではなく「完全な廃刊」でした)
高野兄弟は当時の読者たちからカンパを募り、
1986年5月から1987年5月にかけて「復活3部作」を自主出版の形で発行。
編集長を務めていた、弟・大が20歳になったという節目をもって、
その「ヒストリー」は幕を閉じました。


ちょうど『ヒストリーズラン』が創刊された1985年は、
尾崎豊が、12インチシングル「卒業」・アルバム『回帰線』のヒットで
世の厨二病患者たちのハートをわしづかみにした年です。
(この年は、ハウンドドッグ「ff」もヒットし、
 それら「メッセージ系J-ROCK」の一時的隆盛が始まった時期でもありました)

『ヒストリーズラン』に毎号投稿される詩・小説・マンガ、
あるいはひとことメッセージ的なものまで含めて、
そのほとんどは、うわごとのように社会の醜さやオトナの汚さを叫んだり、
「自分探し・真実探し」を喧伝するかのようなフレーズにあふれていました。
(そういう傾向を快く思っていなかった読者も無論いたようで、
 ある号のひとことメッセージでは
 「所詮みんな尾崎のコピーだ。いつまでもガキじゃいられないんだ」
 という投稿も掲載されていましたが)


この詞は、そんな16歳の頃の自分(を含めた『ヒストリーズラン』読者の姿)を、
今の俺自身が眺めて書いた、ある意味で「過去帳的自画像」のような歌詞です。

そのため、実は歌詞の中にも、
『ヒストリーズラン』誌面からインスパイアされたフレーズが多数あったりします。


 あの頃 何のためらいもないまま僕は
 ただ走り続けてた



このフレーズは、上述した「復活3部作」の最終号となった
1987年5月号の編集後記で、当時の副編集長だったK氏が書いていた


 「あの頃 何のためらいもなく 若い歴史たちは走っていたんだ」


というフレーズに通じています。
(そのK氏のフルネームでググると、現在彼が開設しているサイトや
 ブログにたどり着きますが、その現状は…)

また、


 錆びつくことばのナイフ 振りかざして


というフレーズも、創刊号に掲載されていたある詩の


 「ことばのこんぼうを振り回すのは止めにしないか」


というフレーズにインスパイアされたものです。
CBS/Epic系のアーティストに感化されまくった脳からアウトプットされることばなど、
どれだけ尖らせてみても所詮は錆びたナイフ程度にしかならない、
という自虐的なフレーズのつもりですがw



そしてこのフレーズ。


 『出逢いは歴史を創る』と 誰かの言う
 曖昧な理想に ただ衝き動かされ



この『出逢いは歴史を創る』というフレーズは、「復活3部作」創刊号のサブタイトルにして、
この雑誌がマガジンハウスから刊行されていた頃から
高野兄弟が提唱し続けてきたフレーズそのものです。

大仰な、しかしそれでいて、
今にして思えばどういう実態や理想を見出せばいいのかわからないことば。

そんなフレーズを、あの頃の自分(を含めた多くの読者)は、
熱病にうかされたように、ちっぽけでささくれた心のよりどころにしていた、
──そんな気がしています。



ちなみに、「復活3部作」完結をもって『ヒストリーズラン』が終了したこの年の12月、
尾崎豊が覚醒剤所持・使用で逮捕されたのは、多くの方がご存じでしょう。
不満にくすぶる少年少女のカリスマ(本人の望むと望まざるとにかかわらず)の逮捕で、
「尾崎的な何か・ヒストリーズラン的な何か」は、
失速フェイズに入っていったような、今ではそんな印象を持っています。


 溺れて沈むメッセージに すがりつきながら
 見えない誰かに 拳を振り上げた



このフレーズは、尾崎逮捕と、
それにショックを受けたであろう多くのファンの姿をイメージしています。




深夜のラジオから流れてくる曲の多くに散りばめられた
「真実」という名の、正体不明の甘い果実。
前段になるべき「現実」すら理解できていないのに、その果実を渇望しつづけた日々。

クスリに溺れ、やがては宗教に逃げ道を見つけたカリスマへの幻滅。

「十代のためのリング」を作ってきた人間の迷走と、そのさまざまな末路。



いくつものファクターを通り抜けてオトナになった今、
本来ならあの頃の自分は「黒歴史」でしかないのかもしれない。

でも、恥ずかしさに転がってみたところで、過去を変えられるわけじゃない。
あの頃の自分は、まさにまぎれもなく「そこにいて、走ってた」のだから。


 真実なんて名ばかりの 幼い熱に
 うかされ続けた日々
 でも何ひとつためらわず ただ走ってた
 あの時代(とき)は嘘じゃない

 今もまだ 青い幻想(ゆめ)抱えて…



最後のこのフレーズは、今現在の自分のそんな心境を込めつつ、
あの頃ほどひどい症状じゃないにしても、今もって厨二病気質から抜け出せない
自分自身を、ぼんやり眺めながら嗤うような、そんな気持ちも含めています。


図らずも、ニコ動でサムネになっているrumecoさんのイラストには、
そんな「叫び」が感じ取れるような気がします。



「天使も聖者もこの街にはいない」にしてもそうなんですけど、
なぜかnocchiさんに納品する歌詞は、
非常に個人的な心情を書いたものになってしまいます。
もうちょっと外にベクトルの向いたような歌詞も書きたいとは思ってはいるのですが…


この曲は、いつものエロギターと暴れドラムもさることながら、
シャープなホーンセクションが特徴的です。
作詞依頼をいただいた際にもらったオケには、ホーンが入ってなかったので、
完成品のmp3をもらって聴いた時には、その思いもよらなかった変身っぷりに
びっくりしたことを憶えていますw

ぜひ聴いていただければ。



posted by mak.kanz@wa at 20:52| Comment(0) | ライナーノーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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