2011年12月13日

2011年という年は。

毎年末恒例の『今年の漢字』。

2011年の漢字は、大方の予想を覆すこともなく、『絆』に決まったようで。



  今年の漢字は「絆」 震災、豪雨、なでしこが理由(スポニチアネックス)
  http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/12/13/kiji/K20111213002231500.html



人と人、個と個の間では、確かにいろんな形で
『絆』が再確認されたケースも少なからずあるだろう。それは否定しない。

だけど、震災・津波後のこの9ヶ月間の様々なニュースを見るにつけ、
「今年の漢字って、ほんとにそれなの?それでいいの?」
という違和感を感じざるをえない。
違和感というより、むしろ不快感に近いとでも言うべきか。


福島第一原発のあの事故の後、あらゆる形をとって発露した、
「ヒバク地フクシマ」に対する差別やヘイトスピーチはどうだ。
その口汚い発言の数々は、福島のみならず被災地全体に向けられているとしか思えない。



  小学校では、避難・転校してきた子に「わー放射能がうつるー」

  津波で流された松を護摩木にすれば「セシウムで琵琶湖が汚れる」

  架け替え工事用の橋桁さえ「福島で製造したんじゃ放射能が心配」

  東北の物産の販売イベントをやろうとすれば
  「トラックでセシウム持ってくんな」「汚染作物食わせる気か」

  原発由来ではない災害瓦礫の受け入れを表明すれば
  「市長は売名行為をやめろ」「市職員も同じように苦しめてやる」



それ以外にも、ネット上に流れる
狂信的な「反原発カルト」と化した有象無象の発言まで拾えば、
何行使ったって書ききれないぐらいの『ことばの暴力』の数々。


そこにあるのは、猜疑と糾弾と絶望と諦観ばかり。
『絆』? 助け合いの精神?
そんなものがどこに残ってる?
あるというなら、どこにあるのか誰か教えてほしい。



そして、震災復興処理・放射能汚染対策に関して、
すべてが後手後手に回ったことで、一切の信用を失った政府。
ロクな事前対策も打たず、根拠に乏しい「安全神話」を謳いながら、
それが崩壊してもなお、他人事のような顔をしている東京電力の上層部。


被災地で活動した自衛隊・消防隊・警察・米軍、そして数多のボランティア。
原発で必死に作業を続ける、末端の東電社員や下請け会社の人々。
政府や東電のありさまは、
現場で頑張ってる人々の顔に泥水をぶちまけるような仕打ちとしか思えなかった。



そういう意味でも、今年の漢字は『』一択だと思っている。

今年は、ありとあらゆるものが、あの震災・津波をきっかけに、
あとかたもなく壊れ続けた日々だったのだから。



これから先、我々日本人は何十年にもわたって「試される日々」を生きるのだろう。

失ってしまったもの。それは元に戻るのか。
壊れてしまったもの。それを元に戻せるのか。


まだ終わりじゃない。
まだ死んじゃいない。
壊れたものも、失ったものも、長い月日をかけてでも取り戻さなければ。
posted by mak.kanz@wa at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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