2014年01月03日

自作詞ライナーノーツ#20 「Another Dimension −どこにいても−」

気がつけば、5月末以来ブログを更新してませんでした…w
ライナーノーツに至っては、すでに1年以上手つかずというねwww


…いや、笑ってる場合じゃない(´・ω・`)


フィギュアスケート関係の記事は、ぼかふぁんで日記を書いてるので、
今回はほったらかしだったライナーノーツを。
こちらの曲です。


[ニコニコ動画]


[ピアプロ]

Another Dimension −どこにいても− powered by ピアプロ

[歌詞]
http://piapro.jp/content/8mrh9zoe792b6274


nocchi1031氏(パレットP)とのコラボ7作目です。



オーダーをいただいたのは9月の上旬。
特にテーマやイメージの指定はなしとのことで、
いつもの通りに譜割おこしかねがねの聴き込みを開始。

イントロから続く静かなオケ&メロディが、
サビに入った途端に激しくなる様から、
当初浮かんだイメージは「静謐と激情のあいだ」というようなものでした。
それに沿わせる形で歌詞をひねり出そうとしたものの、
折りしも創作バイオリズムの下降期(人はそれをスランプと呼ぶ)に
入ってしまった状況で(…というか未だにですがorz)、なかなかいい歌詞が出ず。


そんな折、ふとこの新聞記事が目にとまりました。


  娘よ最期の場所は あの日から2年半、不明長女捜し続ける(河北新報)
  http://www.kahoku.co.jp/news/2013/09/20130912t13017.htm


すでに元記事の掲載期間が経過してしまっているので、
Web魚拓を貼っておきます。
http://bit.ly/1bBVTMS


その記事文中の以下の箇所を読んだ瞬間、
胸の奥をかきむしられるような、そんな感情が迫ってきて、
どうにもできませんでした。


--- 以下記事引用(改行はこちらで入れました) ---

  …残された2人の娘のため、仕事に没頭した。
  時が過ぎれば悲しみは癒える。そう思ったが、薄らぐことはなかった。

  生活は落ち着きを取り戻した。
  一緒に買い物したショッピングセンター、好物のそば−。
  ふとした拍子に思い出す長女のイメージはより鮮明になった。
  屈託のない笑顔が目に浮かぶ。見つけてやれない悔しさが募る。

   :

  墓に遺骨はない。支所で犠牲になったとの話も推測でしかない。
  美里さんのランドセルだけが支所から約2キロ上流で発見された。
  どこで手を合わせても釈然としない。

  「最期にいた場所はどこなのか。早く見つけて供養をしてやりたい」

   :

  「美里」の名前は自分が付けた。
  将来、北上町を離れても自然豊かで美しい古里を忘れないでほしい、
  と願いを込めた。

  震災後1年は海を見るのが嫌だった。
  今は河口に来ると美里さんに会えるような気がする。

  「大好きだった海のかなたに行ってしまったのかな。
   それなら会いに来た父の姿を見てくれている」

  そう信じている。

------



…この記事を読んだことで、歌詞の方向性はまったく変わりました。

浮かんだテーマは、

「故人への尽きせぬ愛情と、前を向いて歩もうとする魂(こころ)

そこに、かねてからの「手持ちタイトル」の中から、
今回の作品のタイトルを組み合わせて、本格的に作詞を開始しました。



  立ち止まれば 聴こえるのは 咽ぶような波音
  喪失感は あらわれることもないまま募って


   :

  きみがいないこの世界に 慣れてくのが怖くて
  振り返りもしないままに 走り続けてたけど
  新しい靴は小さくて 転んでばかりで
  擦りむいた膝よりもずっと こころが痛くて



Aメロに相当するこれらのフレーズは、
記事中の「時が過ぎれば〜悔しさが募る」の箇所からインスパイアされました。


  (おもてに)現れることも、(寄せる波に)洗われることもなく、
  時間の経過とともに、ただ澱のように積もりゆく、
  大切なひとがそこにいないという「かなしみ」。
  そして、そんなかなしみに満ちた世界に、いずれ否応なしに慣れてしまうこころ。
  それを振り切るために日々の生活に勤しんでも、
  胸の中の痛みは消えることはない──



そんな心象風景を記事から感じ、それをメロディの上に乗せてみました。



そして、Cメロから間奏・サビを挟んでアウトロに至るフレーズは、
記事末尾の

>  「大好きだった海のかなたに行ってしまったのかな。
>   それなら会いに来た父の姿を見てくれている」

のことばから生まれました。


  でも忘れてしまいたくない
  きみと僕が 笑い 泣いた
  かけがえない日々のことを
  そして今も どこかにいるきみのことを


   :

  僕はずっと ここにいるよ
  たとえ誰も いなくなっても
  きみをずっと 愛してるよ
  たとえきみが どこにいても



「愛してるよ」というフレーズから、
恋人との死別を思い浮かべた方も少なくないかもしれませんが、
今回念頭に置いたのは、恋人に限らず
「大切な誰か」を喪った人々のことです。


親を。
子供を。
配偶者を。
同僚を。
恩師を。
親友を。

それら「愛すべきひと」を喪った人々も、
ただかなしみに暮れて日々を無為に過ごしているだけじゃないはず。
亡くなったひとたちに恥じない人生を歩んでいこう、とこころに決めて、
立ち上がろうとしている人だって少なくない、


…そう思いながら、タイトルにも通じるこのフレーズを打ち込みました。


ピアプロにアップしてある歌詞にはあえて載せませんでしたが、
アウトロの部分に入っている英語コーラスにも、
「大切な誰か」への想いというものを込めたつもりです。

(簡単な英語なので、充分ヒアリングできると思います。
 なので、ここにも載せませんw 皆さんの耳で確認いただきたく)



今回のタイトルは、上述した通り、
ストックしてあった「手持ちタイトル」から採用したものです。
(nocchiさんとのコラボでは、手持ちタイトルを使用するのはこれが2作目ですが)

「Another Dimension」、…直訳すれば「もうひとつの次元」。
ですが、今回の場合は「此岸と彼岸」というような意味合いのつもりです。

今自分が立っている此岸。
大切な誰かがいるであろう彼岸。
その距離は果てしなく遠く、手を伸ばしても届かない。

…でも、大切なひとへの想いというのは、
いつでも・どこでも変わることはないものだ、と思っています。
「−どこにいても−」というサブタイトルには、
アウトロのフレーズの通り
「きみがどこにいても、僕は大切に想い続ける」
という気持ちを込めたつもりでいます。


  遠い空の下を濡らす雨も
  目を閉じれば止んでしまう まだ降ってるのに


   :

  当たり前にまわる 時計の秒針が
  記憶の糸 切ってしまう



当事者じゃない我々の記憶からは、
そんな「かなしみの風景」はどんどん消えていこうとしています。

でも、忘れていいはずがない。
今も「喪失感を負った日々」がそこにはあって、
それはたとえ街が復興しても、終わることなく続くのだ…ということを。


今回のこの歌詞は、震災に寄せる一作であるとともに、
自分に対する戒めの意味も含んでいます。
──「どこにいても、あの日を想え」という戒めを。





 
posted by mak.kanz@wa at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ライナーノーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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